東京家庭裁判所 昭和39年(家)7198号 審判 1966年7月05日
申立人 外山誠一(仮名)
右法定代理人親権者母 外山良子(仮名)
相手方 井沢三郎(仮名)
主文
相手方は申立人に対し昭和四一年七月一日以降申立人が成年に達するまで一ヵ月金七、五〇〇円を毎月二八日限り支払え
相手方は申立人に対し金七、五〇〇円を支払え
理由
第一、申立人は、申立人と相手方との間に昭和三七年五月二四日成立した調停において、扶養料一ヵ月金五、〇〇〇円とあるを一ヵ月金八、〇〇〇円とし、外に相手方は申立人に対し六月に金一万円一二月に金二万円を支払うよう調停を求める旨申立て、その理由として、前記調停成立後物価は上り、かつ相手方の収入も増大しているので、扶養料の増額を求めるものであると述べ、当裁判所は一二回に亘り調停を試みたが昭和三九年七月八日調停不成立となり、右調停事件は扶養料増額請求審判事件に移行したものである。
第二、よつて案ずるに
一、昭和三五年(家イ)第一八一〇号離別等調停事件の記録、同年(家イ)第四七一五号第四七一六号認知慰籍料等調停事件の記録、昭和三六年(家イ)第四九一七号第四九一八号認知慰籍料等調停事件の記録および外山良子の戸籍謄本によれば、申立人の母外山良子は昭和三四年一一月頃から相手方と肉体関係を結び申立人を懐妊し、昭和三五年八月一二日出産し、昭和三七年五月二四日後記調停が成立するまでこれを養育して来たこと、ところが相手方は良子が妊娠し病気となるやこれを顧みないので、良子は昭和三五年五月頃当裁判所に胎児の認知慰籍料等の調停申立をなしたが、相手方が応じないので同年九月これを取下げたこと、その後昭和三五年一二月頃良子は再び当裁判所に認知慰籍料等の調停申立をなしたが、昭和三六年五月一七日不成立となつたこと、よつて良子は、更に昭和三六年一二月二八日当裁判所に、相手方は申立人を認知すること、相手方は良子に慰籍料金三〇万円を支払うこと、相手方は申立人の養育料として一ヵ月金一万円を支払うことを求める調停申立をなし、昭和三七年五月二四日認知についてはこれを取下げ、養育料につき、相手方は申立人に対し扶養料として昭和三七年六月から毎月二八日限り一ヵ月金五、〇〇〇円宛を支払うとの調停が成立し、慰籍料につき、相手方は良子に金一〇万円を支払うものとし同日内金六万円を支払い額残金四万円を昭和三七年五月末支払うとの調停が成立したこと、相手方はその後昭和三七年八月一八日認知届により申立人を任意に認知したことを認めることができる。
二、昭和三九(家)第七六七号親権者指定事件の記録および本件記録中の家庭裁判所調査官野口亨二同小林能子同持丸匡同伊藤よねの各調査報告書、○○興業株式会社の給与明細書、外山良子、井沢幸子、相手方の各審問の結果を綜合すれば、
(一) 申立人の母外山良子は昭和三七年五月二四日前記調停の成立前より東京都○○区○○三五四番地のアパートの一室三畳間に起居し、申立人を養育し、昭和三八年夏頃からはバアーのホステスとして働き一ヵ月一万二、〇〇〇円ないし一万五、〇〇〇円の収入と相手方から送付してくる前記扶養料で生活して来たが、申立人は昭和三八年六月二一日相手方に引取られ、同年七月下旬相手方の依頼により大阪府○○○○市の相手方の妻幸子の母宅間いつ方に引取られ、それぞれ養育されて来たが、昭和三九年三月頃外山良子が申立人を引取り前記アパートの一室でこれを養育するに至つたこと、
(二) この間昭和三八年七月二二日外山良子は、本件調停を申立て、扶養料の増額を求めたが、相手方は、外山良子が前記調停成立後間もないのに次々調停を申立てるので、同人は申立人をたねに扶養料の増額その他の要求をなすものとし、これを防止するために申立人を引取り養育するほかなしとし、調停においては申立人の引取りを主張し、昭和三九年一月二九日親権者指定の申立をなしたので、外山良子においても妥協して申立人を相手方に養育せしめようとして相手方の前記措置を黙認して来たこと、
(三) 然るに、昭和三九年三月頃外山良子は、妥協の意をひるがえし、前記の如く申立人を引取つたが、当時妊娠八ヵ月で妊娠中毒の症状もあつて二月下旬頃から浅草国際病院の診療を受け、働くことも出来なくて福祉を受け、それに相手方から送付してくる前記扶養料を加えて生活し、健康的にも経済的にも申立人を監護養育することの出来ない状態にあつたところ、外山良子は同年六月六日哺育病院に入院して同月九日妙子を出産し、その後浅草日本提の聖愛病院に入院し、同年八月頃退院し、以来前記アパートにおいて夫である渡辺栄より送金を受けて生活して来たこと、申立人は同年五月二九日○○区○○町の一時保護所に引取られ、次いで外山良子の同意の下に同年六月一一日藤沢市○○幼児園に引取られるに至り、申立人は右幼児園に入園以来健康を増進し知能の発達も甚しく健全に養育されて来たが、昭和四一年三月外山良子に引きとられ同年四月から幼稚園に通うようになつたこと、
(四) 外山良子は昭和三八年九月頃から渡辺栄と内縁関係を結び、昭和三九年六月九日妙子昭和四〇年六月二日典男を儲けたが、申立人を養育するためには渡辺栄と結婚すべきものとして、昭和三九年六月一八日その婚姻届をなしたこと、渡辺栄は左官職で箱根神奈川方面で仕事をしていたが昭和四〇年二月からは外山良子のアパートで同棲し、左官職により日給一、七〇〇円の収入があつて、申立人の養育にも協力しているので、外山良子は生活も安定し創価学会の熱心な信者となり、現在渡辺栄および前記三人の子と平穏に暮していること、
(五) 相手方は昭和三八年七月以前より千代田区○番町の○○興業株式会社に勤務し、昭和三八年七月より同年一〇月までの一ヵ月の実収入は約四万一、六〇〇円ないし約四万二、八〇〇円であり同年六月の賞与は実収入五万八、〇〇〇円であり、昭和四一年においては一ヵ月の実収入は五万六、〇〇〇円ないし五万七、〇〇〇円で六月一二日の賞与は給与の一ヵ月ないし一ヵ月半で、多少の郵便貯金のほか格別の資産を有しないこと、相手方は妻と現在高校三年生の長男洋一、現在中学三年生の長女弓子の四人暮しで、住居は団地のアパートにて賃料一ヵ月金四、五〇〇円であり、相手方は前記調停の条項にしたがい毎月金五、〇〇〇円宛の扶養料を申立人に支払つて来ていることを認めることができる。
三、右認定の事実によれば、相手方の昭和四一年一月以後の実収入は、賞与を毎月に割当てて考えると一ヵ月七万円ないし七万一、二五〇円であつて、相手方はこれをもつて相手方ら四名の生活を保持し申立人の養育費を負担すべきであるが、相手方家族の生活費、相手方の前記長男長女の学費などを考慮し、申立人の年齡、申立人の母外山良子にも申立人を扶養すべき義務のあることその他前認定の事情を考慮すると、相手方が申立人に支払うべき扶養料は一ヵ月金七、五〇〇円を相当と考える。申立人は昭和三八年七月以降の扶養料の増額を求めているが、昭和四一年四月以来外山良子が申立人を養育し扶養料の必要であることは前認定のとおりであるが、昭和三八年七月から昭和三九年三月までは相手方および相手方の依頼を受けた宅間いつが申立人を養育し、昭和三九年六月から昭和四一年三月までは○○幼児園において申立人を養育していること前認定のとおりであるので、これらの事情を考えると、物価が上昇し相手方の収入が増大していても昭和四一年三月末までは扶養料を増額する理由を認め難く、昭和四一年四月一日からの扶養料につき一ヵ月金七、五〇〇円とみなすが相当である。しかして、前記調停によればその昭和四一年四月ないし六月分の扶養料についてはすでに支払期が到来しているので、増額した扶養料との差額合計金七、五〇〇円は相手方は直に申立人に支払うべきであり、昭和四一年七月以降の扶養料については、前記調停条項に代り相手方は申立人に対し、扶養料として、毎月二八日限り金七、五〇〇円を申立人の成年に達するまで支払うべきである。よつて申立人の申立を右範囲において相当とし主文のとおり審判する。
(家事審判官 脇屋寿夫)